良い先生とはどんな人のことを言うのでしょう。
皆さんは、これまで関わってきた大人の中で良い先生だったと思える人はどれくらいいますか?
私は普段、保育園児や学童児童と関わる機会が多いため、保育士さんや学童支援員、小学校教諭との接点があります。
先生と呼ばれる立場の人は、良い先生になりたいと思っているはずですが、理想の先生像は人ぞれぞれのようです。
今回は、「良い先生とはどんな先生なのか?」を私の経験や世間的な評価を踏まえて考えていきたいと思います。
良い先生の定義
- 教職に対する強い情熱
教師の仕事に対する使命感や誇り、子どもに対する愛情や責任感など - 教育の専門家としての確かな力量
子ども理解力、児童・生徒指導力、集団指導の力、学級作りの力、学習指導・授業作りの力、教材解釈の力など - 総合的な人間力
豊かな人間性や社会性、常識と教養、礼儀作法をはじめ対人関係能力、コミュニケーション能力などの人格的資質、教職員全体と同僚として協力していくこと
上記は、文部科学省サイトに掲示されている教員に求められる資質能力です。
こうした資質能力が備わっている人は良い先生と言えそうです。
確かに、子どもを育てる立場であることに使命感や誇りを持ち、子どものために真剣に考えられる人であることは重要ですよね。
そして、専門性が備わっていること、子どもや周りの大人からの信頼を得られる人間性が備わっていること、どれも重要なことだと思います。
これら3つのパラメーターが高い人が良い先生なのでしょう。
悪い先生
聞こえが悪いですが、良い先生の定義を満たさない人が悪い先生と言えますよね。
悪い先生の特徴を深堀し把握することで、自身を見直すきっかけになりそうです。
- 教職に対する熱い情熱がない
保育士、教師として向上心がない。
より良い教育を受けさせたいという気持ちがない。
これら当てはまるのではないでしょうか。
これまで保育士として勤めて来てそういった人たちに会ったことがあります。「なんとなく保育士になったけどやる気がない‥‥」そんな人が良い先生になれる訳ないですよね。
- 教育の専門家として力量がない
まず、経験不足で専門性に欠けるのは仕方のないことだと思います。専門性は経験を積むことが重要ですが、その人の姿勢次第では、いくら経験を積んだとしても専門性に繋がらないかもれません。
子どもを理解しようとする姿勢がない。
上手くいかない原因を探そうとしない。
自分が変わろうとしない。
上達しようとする意欲がない。
これらが当てはまるのではないでしょうか。
保育士を例に挙げると、子どもの行動の原因を決めつけて叱ったり、話しを聞いてもらえないのを子どものせいにしたり、大人に都合のいいように子どもをコントロールしたりすることが当てはまると思います。始めから完璧にできる訳ありませんので、自分の保育が正しいと思いこんだり、都合の悪いことは子どもや保護者、他の保育士のせいにしたりしないようにする事が大切だと思います。
- 総合的な人間力が低い
他の保育士と協力して取り組むことができない。
保護者と上手く付き合うことができない。
他者から信頼を得られない。
挨拶ができない。
自分を守るために嘘をつく。
他者の気持ちを理解しようとしない。
話しを聞かない。
自分の都合で物事を決める。
総合的な人間力の幅が広いですが、簡単に言うと信用できない人間だと思います。
職場に上手くなじめない人や他者と関わるのが苦手な人なども多いかもしれません。しかし、本人が変わろうとしない限りそういった状況は変わらないと私は思っています。鬱や精神疾患、ハラスメントなどが当たり前になってきましたが、それらを理由に自分が変わる努力をしない人のはどうなんでしょうか…。あまり公に言うことではないかもしれませんが、誰もが多少の悩みを抱え、理不尽さに耐えながら生活しています。苦痛から逃げてすべてを人のせいにしてしまうのは成長に繋がらないと思います。
保育士目線の良い先生
私は普段保育園に努めていますが、縁あって様々な保育園を見たり、様々な保育関係者と関わったりする機会が多いです。
これまで出会った先生方で、「良い先生」だと思えるエピソードを少し紹介したいと思います。
子どもたちと本気で向き合っている人
私が出会った多くの保育士さんが、子どもたちと本気で向き合っている人ばかりでした。
例えば、ある子どもの問題行動に対してなぜそのような行動をとるのだろうか?大人の関わり方はどうすべきか?と悩みながら保育する人です。時には、子どもに厳しく接する必要がある場合や保護者の方にアドバイスをする必要がある場合などもあります。保育士をしていると、子どもたちの要望に応えてあげたい気持ちや、厳しく言いたくない時もありますが、自分の気持ちだけで関わり方を選んで良い訳がありません。保育士本位にならずに子どもを第一に考えて行動できる人は良い先生だと思っています。
子どもを守ることができる人
保育とは複数人の保育士が連携して行います。時には、大人の都合で子どもたちを制限してしまう場面があるかもしれません。
例えば、外遊びをしている時に遊具を使ってはいけない。大人の休憩時間が無くなるから午睡は必ずしなければいけない。このように子どもを縛り付けるようなルールを大人が作ってしまっている場合は結構あります。そんな状況で、「子どものことを優先的に見れていない」と発言したり、現状を変化させようと行動できるような先生は、子どもを第一に考える事ができ、自分よりも子どもたちのことを優先できる良い先生だと思います。
子どもの話をしっかり聞く人
保育士は、複数人の子どもを見なくてはいけません。そして、子どもたちは大人に話したがりますよね。
良く見られる光景ですが、子どもが話そうとしている時に立ち止まって、同じ目線になって聞いている先生を見ると、良い先生だなと思います。
なかには、子どもが話し終わってないのに遮ったり「はやくしゃべって」と急かしたりする人もいますが、大抵は自分がやろうとしていることが遮られることを嫌う自分勝手な人です。確かに、どうしても聞く余裕がない時はありますが、自分の状況を子どもに伝えると「またあとで話すね」と理解してくれます。子どもとの話し方を見ていると、子どものことを対等に見ているか、子どもだからと下に見ているかが分かりやすいです。
世間的には、明るくて子どもと沢山遊んで言葉使いが丁寧で…というような保育士像が良い先生と思われるかもしれません。
確かに、歌が上手、絵本を読むのが上手、手遊びが上手など部分的に見ると良い先生に見えるかもしれませんが、1番大事なのはやっぱり人間性です。子どもを1人の人間として対等に関わることがきること、子どもたちを第一に考えて行動できることが保育スキルよりも必要なことではないでしょうか。
学童の子がよく「怒られるかな?」「○○していいかな?ダメかな?」と聞いてきます。
「なんでそんなにビクビクしてるの?」と聞くと、「学校の先生が怖い」「すごく怒られる」と言っていました。学校の先生の意図は分かりませんが、子どもに怖がられて指示に従わせるのは良い先生と言えるのか疑問です。怖い存在がいなくなった時に子どもはルールを守ろうとするのか?自発的に勉強をするのか?考えて行動することができるのか?と思ってしまいます。小学校との連携はまだまだ課題が多いですが、そういった子どもとの関わり方について話ができるような体制作りをしていきたいです。
まとめ
- 教職に対する強い情熱
- 教育の専門家としての確かな力量
- 総合的な人間力
今回は「良い先生」について考えてみましたが、記事を書いていて自身の振り返りにもなりました。
これもまた人間力に重なりますが、自分が常に正しいとは限らないため、自分を振り返り、変わっていくことが大事なのかもしれません。